前回の「息子が会社を辞めてきた話」は、こころの中でモヤモヤした気持ちを勢いで吐き出しただけで、そのうち記事を非公開か削除しようと書いたのだが(言語化すると自分の気持ちが整理できるので、ブログというのは有り難いツールだ)、思いかけず反響があって、その記事をどうしようか考えあぐねている(が、もう消せないね・・・)。
案外、同じような放蕩息子に気をもめている同世代の方も多いのだろうか(笑)
息子であっても、成人して社会に出れば一人の人間、一人前の大人として自分の足で立って歩いていってもらいたいわけで、親としての役目はそこで終わりだ。あとは見守るだけ。いつまでも親のすねかじりでは困る。
ただ、経済的自立、つまりお金を稼げるようになるだけをよしとするのではなく、いろんな経験をして人間として成長して欲しいし、できれば何かしら社会に貢献できる人間になって欲しいと願っている。
後悔しない生き方を選択して欲しいだけだ。
親として思うのはそんなところだ。何も息子が憎くて厳しいことを言っているのではない。
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最近、関東に出張すると、横浜にいる自分の父親と会うようになった(お袋は3年前に他界した)。もう83歳だ。ずいぶんとおじいちゃんになった。事情があって実家に寄ることはないが、お袋の墓参りをしたあと、関内や桜木町、中華街あたりでサシで飯を食いに行ったりする。
関内においしい焼き肉屋を見つけて、この前に会ったときは、その焼き肉屋に連れて行った。口に入れるととろけてしまうような上カルビと歯ごたえのあるタン塩でビールを飲んだ。
「まだ少し飲める?」と聞いたら
「大丈夫」と言うので、
「スコッチを飲みに行こう。ホテルからここに来る途中、馬車道に落ち着いたいい感じのバーがあったから、そこで飲みながら話そう」と誘った。
バーテンダーに「ピートの香りが強めのスモーキーなスコッチを」と自分の好みを伝えて、おすすめのスコッチを自分はストレートで、オヤジは同じものを水割りで頼んだ。
ちなみにスコッチは香りを楽しむためにも、ストレートで飲むのがおすすめだ。
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オヤジもサラリーマンだった。日本が高度成長期でイケイケドンドンの時代だ。一部上場企業でエンジニアとして働き、自分が子どもの頃は、しょっちゅう年単位で海外に出張していた。
文系の自分には、具体的にどんな仕事をしていたのかよく理解できないが、自分が会社勤めをするようになってから、オヤジが勤めている会社のことをある程度理解できるようになると、あの会社でかなりのところまでいったオヤジを改めて社会人の先輩として尊敬するようになっていた。
会話の中で、
「会社を辞めようと思ったことはないの?」
と聞いてみた。
「まったくないね。楽しかった」
当時の海外出張の思い出ばなしを聞きながら、結構おいしい思いもしていたらしく、真面目と思っていたオヤジも意外と遊んでいたんだな、なんて笑えた。そりゃ辞めようとは思わないな。
「さっきの店はおいしかったけど、高かったんじゃないか?」と聞いてきたので、
「高いよ。でも、そのぐらい自分も出せるようになったし、大学まで出してくれたこと思えば少しも返せてないよ」と答えた。
これは本心だ。
以前、名刺を一枚くれというので渡したことがある。
名刺には「取締役」と書かれた役職名と名前が印刷されている。
「小さな会社だけど、業界ではそれなりに知名度も上がってきたんだ。バイクばかり乗り回していた不良息子が、何とかここまで来ることができたよ」
名刺をまじまじとうれしそうに眺めている姿を見て、少しだけ親孝行できたと思った。
ただ、相変わらずバイクだけは乗り回しているけどね。
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そういうことだと思う。
息子にとって父親という男同士の関係とは、(精神的にも社会的にも経済的にも)いつか乗り越えなければならないから反発するし、身近過ぎるからこそ見えていない姿がある。
社会でもまれ、所帯を持って、子どもが生まれて、いろんなことを経験して、同じ目線で話ができなければ本当の姿が見えてこない。若いころはわからなかった。特にサラリーマンの父親だと、普段働く姿を見ることはないからね。
もちろん、いろんなケースがあって、感情もそれぞれで、皆が同じと言うことはない。ここまで書いてきたのも一つのケースだ。どうしようもない父親もいれば、容易く乗り越えていく優秀な息子もいるだろう。
願うのは、いつか、息子が一人前になって、胸を張って誇る姿を自分に見せて欲しい。
それだけ。
1年前はこんな記事書いていたんだけどな(汗)