うさぎのケージも洗ったし。
夏休みもあとわずか。今日はバイクの乗ろう。
キャンプツーに行きたかったけど、最近のキャンプブームで主だったキャンプ場は予約しないとダメなところが多いし、人が多いキャンプ場はあまり好きではないので今回はパス。
出たとこ勝負で、行った先の気分次第でお泊まりしてもいいように、着替えだけバイクに積んでおく。
まずは涼を求めて奥美濃の標高の高い高原まで。
ここまでが暑かった💦
さあ、こっからどうしよう? 北陸方面に出ようかな。
金沢か? 富山か? 福井か?
下道オンリーで北上して、飛騨古川まで行ったところで、街の中華屋のランチメニューに惹かれて(この辺はよく来るので観光客相手の飛騨牛のお店とかは入らない)中華飯と餃子のセットを食いながら考えて、越中八尾に行こうと決めた。そう。おわら風の盆で有名な街。特に理由はない。ただ頭に浮かんだだけ。
* * *
八尾はずいぶん昔に仕事で訪れたことはあるが、風の盆についてはあまりよく知らなかったので、まずは資料館に足を運ぶ。
おわら風の盆は稲の収穫前に台風などの被害に遭わぬよう、厄除の意味を込めて踊ったのが由来というが、実はあまりはっきりしていないらしい。
おわらがいつ始まったのか、明瞭な文献が残っていないためはっきりしません。 「越中婦負郡志」によるおわら節の起源として、元禄">月、加賀藩から下された「町建御墨付」を八尾の町衆が、町の開祖米屋少兵衛家所有から取り戻した祝いに、三日三晩歌舞音曲無礼講の賑わいで町を練り歩いたのが始まりとされています。">どんな賑わいもおとがめなしと言うことで、春祭りの三日三晩は三味線、太鼓、尺八など鳴り物も賑々しく、俗謡、浄瑠璃などを唄いながら仮装して練り廻りました。これをきっかけに孟蘭盆会(旧暦も歌舞音曲で練り廻るようになり、やがて二百十日の風の厄日に風神鎮魂を願う「風の盆」と称する祭りに変化し、日に行うようになったと言われます。
出典: おわらの歴史:おわら風の盆の来歴|越中八尾 おわら風の盆
現代では9月1日から3日間行われ、この期間に20万人から30万人が見物に押し寄せるという。残念ながら今年はコロナの影響で中止を余儀なくされた。
資料館では、10分ぐらいのビデオを上映していて、その雰囲気だけは味わうことができる。
この浴衣に目深くかぶった網笠で風流に踊る女性が妙に色っぽい。 珍しく演奏には胡弓を使う。この音色が郷愁を誘う。
大正時代の写真。今よりだいぶ地味だった。
諏訪地区の街並みは、昔の面影を色濃く残すように保存されている。
まるで江戸時代の宿場町みたいだ。
ただ、この日は気温がぐんぐん上がって誰も歩いていない。観光客の姿もなく、やっぱりみんな自粛しているのかな。帰省する人も少ないみたいだ。
街をガイドしてくれたボランティアさんも物足りなさそう。
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さあどうしよう。
暑くて無性にビールが飲みたい。
このまま富山に泊まって、白えびの天ぷらで一杯なんて絵が頭に浮かんで、スマホで宿を検索。
普通のビジネスホテルもGOTOで35%割引になってる。溜まっていたTポイントも全部投入したら朝食付き3000円ちょっとだよ。富山駅前のホテルに予約を入れる。
お泊まり決定 (´∀`)
半分そのつもりだったけど・・・
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宿に入って、風呂入って、少し涼んだら富山駅の中にあるキトキト寿司へ。回転寿司だけどさすが富山、レベルが高い。
白えびの天ぷらに、地物のぶりとアジをいただきます。もちろん生ビールも。
〆は元祖富山ブラック。
富山ブラックは、肉体労働者が白飯のおかずに食べれるように醤油辛くしてチャーシューをぶっ込んだのが始まりらしい。
見るからに黒い。胡椒もたっぷり。
麺は太麺
マジしょっぱいよー 😭
スープは無理です・・・飲み干したら病気になりそうです。
お腹も膨れて、酔いも回って宿に帰ったら秒で爆睡したです。
山陰旅行の記憶が遠のいていく・・・