「決断し人生をデザインする」
少し前の日経に、こんな見出しの記事が載っていた。
今年、6月にマネックス・グループのCEOに就任した清明祐子さんのインタビュー記事だった。
彼女は1977年生まれで、京大経済学部を卒業し、都市銀行から投資ファンドを経て現在のマネックス証券に入社したという経歴の持ち主。
エリート、一流、才女・・・
ワインが好きでスクールまで通ってワインエキスパートの資格まで取ったそうだ。
もう人生キラキラしてる ♪¨̮⑅*⋆。˚✩.*・゚
記事の中で「幸せの基準はお金ではなく、豊かな人間関係で決まる。どれだけお金があっても孤独では寂しいから」と彼女は言っていた。
もう完全に持っている人のお言葉。
確かにあなたは素晴らしい、人もうらやむような人生を送っている。
でもさ。豊かな人間関係ってどういう意味? その中身は同質化したエリート階層の中だけの話じゃないの? もし、ヤミ金の泥沼な裏の人脈にも通じていれば逆に尊敬するけど。
なんか僻みたらし言葉が続いちゃったけど。そんな人のインタビュー記事にどんな価値があるのか疑問を持った。まったく自分には再現性がないし。
おい! 日経! マネックスにおもねってんじゃねえよ。
清明さん。あなたにひとつ言えることがある。現代の社会で生きて行くには金も孤独な時間も必要なんだよ。そして孤独とともに生きることも選択肢のひとつだということも。
* * *
上野千鶴子が東大の入学式の祝辞で語った。
ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。
(中略)
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
この祝辞がニュースになったとき、東大や京大に入るような人は、そりゃ努力もしただろうし、もともと備わっている才能もあるだろう。
でも、それだけじゃない。その人を取り巻く環境がよかった。ほとんどの人は、たとえ才能や能力があっても報われないことが多い。
じゃ人生って、どんな要素で決まるのだろう?
どんな時代に、どんな国で、どんな親から生まれ、どこに住んで、お金があるとかないとか、どんな兄弟姉妹や親戚がいて、どんな学校に行き、どんな会社で、どんな仕事して、身体が健康なのか、病気がちなのか、友だちは? 上司や部下は?
数え出したらキリがない。
突き詰めて究極的にたどり着くのは「運」。それしかない。だって、上の条件見ていっても、自分が自由に選択できる要素は限られていると思わない?
昔からよく思う。人生って、その人がもって生まれた星の下で、なるようにしかならないと。浮いたり沈んだり。運がよかったり悪かったり。選択が正しかったり、誤ったり。ひとつだけ言えるのは、この国に生まれただけでも基本的には運はよかったということだ。
* * *
「運」って、ちょびっとだけ自分で引き寄せたり、切り拓いたり出来る要素もあるにはある。
自分の経験上、それは「行動するか、しないか」「やるか、やらないか」。つまり2択を迫られたときだ。
基本的には「行動する」「やる」を選択する。特に若いうちは。そして経験し、あまたの失敗するなかで、「どう行動するか」「どう道筋を立てるか」という判断基準みたいなものが確立していくし、過去の経験から引き出しも増えていく。それがうまく回るようになると「運」を味方に付けることも出来る。
行動というのは前に進むことだけじゃない。ときには後戻りしたり、逃げたりするのも行動のうちだ。ときには負けを認めることも必要だ。
そうすると、逆に必要ないことは「やらない」「断る」「撤退する」という選択も出来るようになる。
これホント。年を重ねるごとに「やらない」「断る」「撤退する」ことで「運」が回り出すことがある。なんというか悪い運気みたいなのを避けるというか、そういう勘所もわかってくる。
人生をデザインするなんて、そんなスマートに生きてる人なんて多くはない。少し歯車が狂うだけで大変な思いもするし、歯車が回り出せばイージーモードになることもある。その繰り返しだ。
上野千鶴子が言った「世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます。がんばる前から、『しょせんおまえなんか』『どうせわたしなんて』とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます」という人たち。
この人たちの人生は、ずーっとそのまま続くのだろうか? それともどこかで好転することはあるのだろうか?
それはわからない。本人次第だけど、自分と自分を取り巻く環境の交互作用によって何かが変わるのであれば、何かを変える、自分の行動を少し変える、環境を変えることによって、人生は別の方向に変えることが出来ると思う。
最初から持ってるやつにはわからないだろうけどね。