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出生数90万人割れー人口減少社会に思う

 

結構衝撃的なニュースだった。

 

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日経新聞 2019年10月7日朝刊

 今年の出生数が90万人を割りそうだという。

 

出生数が100万人を割ったというニュースからわずか3年だ。

 

第2次ベビーブームの世代は、同級生が200万人いた。

 

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出典:内閣府HP https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/data/shusshou.html

 

自分が生まれた1967年も180万人の同級生がいた。前の年が丙午で出生数が極端に下がったが、それでも136万人だ。

 

子どもの頃、横浜で過ごした。

 

当時、横浜は人口増加率が高くて小学校の1学年5クラス、6クラスは当たり前だった。中学は12クラスあって、途中で新しく中学が新設されて、半分が新しい学校に移ったほどだ。

 

しかし、いま、自分が卒業した小学校も中学校はもうない。40数年の間に児童生徒数が減少し、整理統合されたのだ。高校はかろうじて残っているが、随分と生徒数は減ったようだ。都会でもこの有様だ。

 

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出典:内閣府HP https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2012/zenbun/s1_1_1_02.html

 

これがどういうことなのか、ちょっと考えてみる。

 

例えば、今年産まれた子どもが小学生になったとき、我々世代の半分しか新入生がいないのだ。

 

ランドセルもノートも教科書も、すべて半分しか必要なくなる。数が減れば原価もあがるし、コスト的に厳しくなってタブレット配付してテキスト配信になるだろう。

 

知り合う友だちも半分だ。世の中、いろんな人がいて、良いも悪いも含めて刺激しあって競争して発展していく。国際的に見れば国内だけでちまちましてたら様々な分野で進化のスピードについていけなくなるだろう。

 

学校も先生も当時の半分でいいということだ。つか、今の義務教育制度が崩壊しているかも知れない。子どものイジメじゃなくて、先生が先生にイジメ? ほんと神戸にアホな先生いるし。いまどき子どもを学校に通わすリスクの方が高いんじゃないの?(これは別問題だけど教育現場は深刻だ)

 

さらに彼らが18歳になったとき、今の大学の半分以上は学生が集まらずに潰れてしまう。高等教育機関が衰退すれば科学技術も産業も芸術文化も衰退してしまう。現に国公立も私大も統廃合が水面下で動いている。

 

こうやって考えると、自分の卒業した小学校から大学までの母校がすべてなくなる可能性だってあるな。

 

数は力だ。国力は人口に比例する。だからアメリカも中国も大国でいられるのだ。日本も第二次世界大戦後からいくつかの幸運が重なり人口が増え、経済発展し、生産性も上がって一時はGDPが世界第2位までの経済大国に上り詰めた。

 

しかし、2010年ごろを堺に人口減少に陥った日本は、すべてにおいて需要は減少していく。クルマも家電も家も売れなくなっていくのだ。だから企業は海外に出て行く。地方では電車やバスが次第に廃止され、学校も無くなり、村や町そのものが無くなっていく。40年後(もっと早いかもしれない)に今より4000万人減るんだからね。人口が。岐阜県20個分の人口だよ。つまり、日本国内の経済は縮小していく。確実に。いくらIoTだのAIだのと発展しても、人がいなけりゃ始まらないし、インフラを維持整備するにしたって人は必要だ。

 

さらに高齢化が進み、高齢者医療や介護需要だけが高まっていく。この分野は労働集約型で税金が投入され、言葉は悪いが利益を生み出さない対象に資本投下すると言う意味では、社会資本を食いつぶす分野だ。そこが栄えたところで経済成長にはつながらない。それどころか、社会保障費が増大して若い世代の負担が増すだけだ。

 

その若い世代もおかしなことになっている。

 

働いたり、消費したり、家族をつくったり、文化を発信したり、社会の新陳代謝を促すはずの世代がひきこもってしまっている。ひきこもりは若者の問題と思っていたら、いまやひきこもりも年を重ねて、40~64歳のひきこもりが61万人もいるという。

 

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福祉新聞2019年4月8日号


生きるか死ぬかの国に比べれば、日本は豊かな国だ。実家に引きこもって親のすねをかじっていれば生きていける。

 

しかし、その親だっていつまでも元気ではいられない。

 

8050問題というのがある。80歳の親が50歳の引きこもりの子どもの面倒を見ているのだ。

 

親が倒れれば、共倒れだ。実際、そういうケースで50歳を過ぎても社会経験がない人を雇う企業はなく生活保護が増えているらしい。また、親が死んでも死亡届を出さずに、親の年金をもらい続けて暮らす輩もいる。ただでさえ、労働者人口が減って歳入だって減ってきているのに、そんな引きこもりに税金を使って社会で面倒みている余裕はなくなるだろう。引きこもる前の対策が今すぐ必要だ。

 

正直、日本がこの先どうなっていくのか怖くて想像すらできない。が、税金や社会保障費で確実に手取りが減ってお金は貯まらないし、なおかつ、年金支給が先延ばしされ、70歳まで働かなければならない時代はもうすぐそこだ。国は70歳まで働けるよう、次々と施策を打ち出している。

 

おいおい。国の少子化対策はどうしたんだ?

 

この先、どうあがいても子どもは増えない。出産可能な女性の人数自体が少ないのだ。40代の女性が907万人に対して、30代は696万人、20代は578万人まで減っている。出生率を多少上げたところで母数が少ないから子どもは増えないというわけだ。

 

そういう現実を見て見ぬふりして、子育て支援とか保育所問題とかに矮小化して少子化問題に対処しようとしたから少子化は止まらなかった。子どもが産まれてからより、子どもが産まれる前の若者への対策が必要だったのに。20年前、介護保険を議論するんじゃなくて、高齢者に回すお金の半分でも、若者と子どもと教育に使えば今よりはマシな状況だったかもしれない。エンゼルプランも新・エンゼルプランもかけ声だけで実弾が足りなかったのだ。今更ながらの幼児教育無償化。遅いよ。

 

子どもを育てるには金がかかる。自分も子どもを大学までやったけど、まあ大変だったよ。それに親が望むように子どもは育たない。そりゃ人間だもの。いろいろあるわさ。精神的にも肉体的にも辛いときもある。それだったら、一人で気楽に暮らした方がいい。

 

TOKIOの城島君、50歳で子どもが産まれるって、実はちょっと同情的に見てしまったよ。

 

今の時代に自分が20代だったら、結婚しない、子どもをもたない、そういう選択してたかもしれない。それが少子化の実態だ。

 

なんだか、今回は支離滅裂な記事になってしまったけど、何が言いたいかといえば、長期的な投資に際して、ポートフォリオから国内株式のインデックス投信は外しておいた方がいいという結論に至ったわけです。

 

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