Bullpower.com

仕事や趣味、健康、お金など、50代からの人生を豊にするための生き方を思案中。

本サイトはアドセンス・アフィリエイト広告を利用しています。

 

 

台風19号の爪痕と被災地域との温度差

f:id:bullpowerworld:20191015155912j:plain

 

 

台風19号の被害がとんでもないことになっている。

 

ニュースで流れる映像は衝撃的だった。この前の千葉の台風被害も冷めやらぬうちに・・・

 

 

*  *  *

 

 先週の金曜日、まだ台風19号の進路がはっきりせず、念のため会社を出るときに外の備品をしまったり、以前に雨漏りしたところの対策などをした。

 

自宅では、外に置いてあるゴミ箱や植木鉢、物干し竿などを倉庫にしまったり、バイクのカバーが飛ばないようにゴムバンドをいつもより多く掛けたりした。

 

ところが・・・

 

 

なぜか、岐阜だけは台風が避けていったというか、バリアが張られているようにポッカリと空いている。

 

 

停電予想も当然表示が無い。

 

実際、雨は降ったし、多少風もあったけど、被害が出るほどのこともなかった。

 

台風が上陸した晩は、大して雨も降らなかったので、のんきにお酒飲んでいた。家族も居間でそれぞれテレビ見たり、スマホしたり、ゲームしたり、通常の休日の風景だった。

 

ところが・・・

 

翌日テレビで映し出される光景は凄まじく、あちこちで河川が氾濫している。家が流されたりクルマが水没したり、屋根に避難している人をヘリコプターでつり上げたり。

 

同じ日本で、同じ時刻に起こっていることなのか?

 

実感が無い。

 

大変なことであるのはわかる。だが、あまりにも自分の置かれている状況と違いすぎて実感が湧かないのだ。

 

これは、東日本大震災の時もそうだった。

 

遠くの国の戦争で、爆弾が落とされて、人が死んでいく光景をテレビで眺めているのと同じシチュエーションだ。

 

*  *  *

 

こういうとき、いつもどうしていいのかわからない。

 

SNSで「被害に遭われた方には、心からお見舞い申し上げます」と流せばいいのだろうか? 多少の額を募金して、それで済ませば被災地への支援をしたことになるのだろうか? ボランティアに2~3日行って被災者のために汗を流せば、それで被災者に寄り添ったという免罪符になるのだろうか?

 

当事者が感じている、痛みや悲しみ、絶望感は当事者にしかわからない。

 

ニュースで流れている間は、何か出来ることはないだろうか? と思ってはいる。でも仕事がある。朝、いつも通り会社に出かけるしかない。

 

次の大きなニュースが起きれば、次第に台風の報道の数は減っていき、被災地以外の人は何ごともなく自分の生活を送っていくのだろう。ただでさえ、自分の生活を送るので精一杯だ。そして忘れていくのだ。

 

以前、東日本大震災から1年以上経った福島に出張したときに、お客さんの会社の近くで除染作業をしていた。

 

「まだ、除染作業は終わってないんですね」と言うと、

 

「もう震災は人ごとなんでしょ。まだ、何にも終わってませんよ」と返された。

 

災害がある度に、あのときの言葉を思い出す。

 

災害はないに越したことはない。でも、災害は起きる。むしろ災害だらけだ。

 

現地から離れた私たちに出来ることは、SNSで励ましの言葉をかけたり、定型のお見舞いのフレーズを流すだけでなく「忘れない」ことだ。

 

あのとき福島の人に教えてもらった大事なことだ。この機会に自分のためにも書き留めておく。

 

スポンサーリンク