3月末に会社を退職し、ようやく退職金が振り込まれた。つまり約2か月かかったと言うことだ。
この2か月間、国民年金や健康保険などの社会保険料の負担が思ったより重く、さらに6月には住民税の支払いも始まる。
みるみる通帳の残高が減っていくのは、精神的にあまりよろしくない。退職金が振り込まれたことで、ひとまず一安心なのだが、こんなんじゃ、税金や社会保険料、そして日々の生活費であっという間に底をつきそうだ。ちなみに役員だったので失業手当もない😭
NISAやiDeCoなどを使って運用している資産はあるのだが、これは使いたくない。長期運用前提だし、それこそ老後の資金としてとっておきたい。
大企業の社員や公務員などで勤続35年とか40年勤めれば、2000万円とか3000万円の退職金を手にしているようだが、自分は社員20人未満の弱小企業で、勤続27年(30歳の時に転職して勤務)、なおかつ自己都合による退職なので、退職金なんてその金額の足下にも及ばない。
で、だ。
フリーランスという名の無職で毎日ダラダラと生活してきたが、最近、どうも何かが足りない。空虚? 虚無? そんな言葉が思い当たる。もちろん、会社で仕事していた頃の人間関係や顧客からのクレームに無理難題・・・などのストレスから解放されて、自由を満喫していたのは確か。
しかし、そんな生活をいつまでも続けられるわけはないと不安にもなる💦
それに、57歳という年齢で完全引退というのは、(寿命はいつ尽きるかわからんが)平均的な残された時間を考えれば長すぎる。それに、まったく無収入というのは(お小遣い程度の下請け作業はあったにせよ)生活の幅とか豊かさを縮小させていくので、決して幸福な人生とは言えないのではないか、とも思うようになった。
退職の経緯は↓の記事をご参照下さい。
* * *
5月にある学会が長野市であって、親しくしていた先生から「みんなが集まるので、ブルさんの”退職お疲れさん会”を催したい」と連絡があった。長野は少し遠いが時間もあるし、バイクでツーリングがてら行くのもいい。なによりその気持ちが嬉しい。
もちろん二つ返事で「OK」の返事をして、翌日は志賀草津高原道路でも走って帰ろうかな、なんて考えていたところ、これまた懇意にしていた出版社の社長から
「長野の学会で展売するんだけど、人が足りなくて1日手伝ってくれない?」と連絡があった(もちろん退職したことは知らせてあった)。
「え、スゴイ偶然! その日長野にいるよ。自分でよければ手伝うよ」とこれまた二つ返事をした。
2日間開催される学会は、その業界ではかなり大きな規模で、全国から大学等の研究者が集まる。当然、これまでお付き合いのあった顔見知りの先生も多い。
1日目は、夜に長年一緒に苦楽を共にした先生方としこたま飲んで数々の思い出話(台湾視察研修にもご一緒した)や苦労話に花を咲かせた。
そして、2日目は展売ブースで売り子のアルバイト。
「あれ、なんでここの出版社にいるの? 転職したの?」と知り合いから続々と声をかけられる。
「実は会社辞めてね。今日はここで1日ヘルプ」
そして、その出版社の社長に知り合いの先生を片っ端から紹介していった。そして終わり掛けに社長から、「ブルさん、もし企画とかあったらうちで出すからいつでも話を持ってきてね」と声をかけてもらった。
いいな。やっぱりいい。
現場で味わう高揚感と人との交流は楽しい。そして、まだそこに自分の居場所があって求められているという実感。考えてみれば仕事自体は好きなのだ。ただ、組織の中で精神をすり減らしながら働くことに嫌気が差したのだ。
すると、毎日、自由気ままにバイクに乗ったり、山を歩いたり、家でYouTube三昧の日々は、気楽でいいがちょっと虚しさもこみ上げてくる。
翻って50代後半で、改めて仕事を探す、再就職するというのはかなり難しい。特別な技能や資格があったりすれば別だが、正社員で雇ってくれるまともな会社なんてまずない。あれば、人手不足でよっぽど困っている会社だ。
それに、もうどこかの組織に属して仕事をするのはご免だ。また会社員に戻ってしまっては、何のために会社を辞めたのかわからない。
やっぱりこれまで築いた知識や経験、そして人とのネットワークを活用して何かを始める方がいい。そのままにしておくのはもったいない。そう思った。
* * *
前職で取引のある企業の担当者に、会社を辞めると伝えたときに、「それであれば、仕事を手伝って欲しい」と言われていた。
その会社とは、誰もが知る超大手企業数社が出資して設立された事業会社なのだが、それら企業から派遣された社員は業界未経験ではた目にもうまく回っていない。そこで取引が始まってから度々相談を受けはアドバイスをしたり、また機会ある毎に社長はじめ役員ともミーティングを行って、ときに顧客を紹介した。
まず、その担当者に連絡を取ってみた。
すると、わざわざ岐阜まで来てくれて話をすることになった。
馴染みのイタリアンレストランで食事をしながら、はじめに事業の状況や業界の動向などの話をした後に
「そろそろ仕事をはじめようと思っているんだけど、前に話していたそちらの事業を手伝う話、進められないかな?」
と切り出した。
「どういう形でコミットするか考えている?」
「できれば、個人事業主として業務委託契約できないかと考えている」
「個人だと契約は難しいかも。親会社の承認を得るには基本的に法人じゃないと契約主体にはなれないんだよ。方法としては、どこかグループ会社をかませて契約社員の形にして関わってもらうか、派遣会社を通すかだなぁ」
「うーん。契約社員も派遣会社も何かしら縛りあるし、中抜きされるからなぁ。あまり気が進まないねぇ」
やはりね。現実は厳しい。そんなに物事が簡単に進むわけはない。これはある程度想定はしていた。
「ブルさんが法人つくってしまうという手もあるかも」
「法人設立するの? 会社を立ち上げるってこと?」
「そう」
なるほどね。会社を自分で立ち上げるのか。確かにどこかの契約社員になるより、ましてや派遣社員よりよっぽどいいかもしれない。契約社員や派遣社員じゃ、また、誰かの管理の下に働くことになる。それは望まない。自分で会社をつくってしまえば、自分で決めて、自由に動ける。それに今後のことを考えれば、一つ器を作っておくのもいいかもしれない。学会で手伝った出版社もそうだが、法人同士のほうが業務提携しやすいだろう。
「わかった。その方向で動いてみる。どんな感じでそちらの事業にコミットするかもまとめてペーパーにして送るよ。社長にもそう話をしておいて」
こうして、ぐーたら生活から、一気に仕事モードに突入した。「パチンっ!」とスイッチが入った感じだ。まずは、これまで培った使えるリソースを一覧にして誰に、何を、相談して、法人設立までの道筋を立てるかを考えることにした。
つづく
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