もう2月も終わり。
つい先週までオリンピック一色だったマスコミは、もうウクライナ情勢一色に染まっていた。
情報伝達のスピードが早くなると同じくらい、社会が変化していくスピード感が加速していって、自分の情報処理能力の限界を軽く飛び越えて思考停止状態になってしまう。同時に自分の身の周りにもいろいろな変化が起こって、もう追い付く気力も対応する力も湧いてこない。
こんなときは気晴らしでもすればいいのだが、今年の冬は寒く到底バイクに乗る気も起こらないし、いつもの冬なら雪山だったりスキーだったり冬の楽しみもあるのだが、まったくそんな気持ちにもならない。家でぬくぬくして、動画見たり、本読んだり、酒飲んでウトウトしたりと引きこもり。今だったらコロナを言い訳にできるし・・・
とは言え、とりあえず運動不足にはならないように近くのトレイルだけには出かけている。大体10㎞ぐらいを2時間半から3時間ぐらいかけて、のんびり歩いたり、少し走ったり、途中でお茶を飲んだりしてボーッと景色を眺める。
2月終わりの土曜日。この日は寒さが和らいで、トレイルの木々の隙間から差し込む日差しも暖かい。なんとなく春を感じる。季節は同じテンポで進んで行く。なんか安心する。しかし、いろいろな思いが頭を巡る。
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男性にも更年期があるという。そういえばあちこち体の変化(というか老化)を感じるようになった。精神的にも少し不安定だ。軽いうつのような症状。
山の中を歩きながら、いろいろなことを考えてしまう。
長くやり過ぎてまったく意欲が湧かない仕事。
鬱陶しい人間関係。
未だ仕事しないお兄ちゃん。
没コミュニケーションとなっているカミさん。
いろいろと問題のある実家のこと。
もうすべて投げ出して、ひとりになって、自由になりたい・・・
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前回の記事で、自分は一体誰のために、何のために生きているんだろう?と締めくくった。
今さら名声を得たいとか、金持ちになりたいとか、女性にモテたいとか、そういう欲もないし、望んでも仕方ない。
50数年も生きていれば、大体自分のポテンシャルだって、レベルだってわかるし、現実的な見方もできるようになる。なりたい自分となれる自分が違うことも知っている。
なるようにしかならない。だったら、いろんな問題から距離を置いて、自然の中でゆっくり空気を吸って暮らしていけばいいじゃないか。そんなふうに割切って生きていきたい。
そうだな。確かにそうだ。いつまでも常に高い目標に向かって生きていかなければならないなんてことはない。若いときなら必要かもしれないが、これからは次世代を担う若い人の邪魔にならずに生きていけばいいじゃないか。
すべてを捨てても、自分がいなくなっても、周りは自分がいないなりに回っていくんだろう。面倒くさい問題も、自分からアクションを起こさなければ、いずれ問題があったことすら忘れ去られるだろう。
あと3年もすれば、自分が果たさなければならない義務からも解放される。はずだ?
よし、あと3年だけ。その間に準備だけはしていこう。必要なのは身を引いていく準備と計画。それまで無謀に自暴自棄な行動だけは慎まなければならないと自分に言い聞かせる。
あれ? 計画に「目標」と「目的」が必要じゃないかって? そういうツッコミはご遠慮ください。
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