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西村賢太原作「苦役列車」の映画を見たら「あ、俺この世界知ってる」と思った話

 

先日、元・東京都知事の石原慎太郎氏が亡くなったニュースを目にして、意外とショックを感じていた。

 

享年89歳ということだから、早過ぎたということはなくむしろ長寿だったと言ってもいい。が、「もうそんな歳だったんだ」と。

 

石原氏が作家として活躍していた若い頃のことはよく知らないが、都知事時代は、まあ元気でよく物議を呼ぶ発言をして、「人騒がせなひとだなぁ」と思う一方で、日本の未来を本気で憂いているのだとテレビに映る彼の姿を眺めていた。

 

なんとなく「都知事」と言えば石原慎太郎みたいなところがあって、小池百合子はWBSのキャスターで、自分の中で石原氏はまだまだ現役の政治家というイメージだった(なんか自分の中で時間が止まってる・・・)。

 

だからだろう。たぶん彼が亡くなったこと自体にショックを受けたのではなく、自分も同じだけ歳を取って時が流れていたことと、彼の死が一つの時代の終焉であり、その象徴であり、それに立ち会ったこと自体が「ショック」だったのかもしれない。そして彼が望んだ日本の姿に到底届きそうにない現実だけが浮かび上がってきたような気もした。

 

*  *  *

 

その数日後。

 

今度は西村賢太氏が亡くなったというニュースが流れてきた。彼のこともあまりよく知らない。芥川賞を受賞した作家であること、その受賞作が「苦役列車」というタイトルだったこと、受賞のインタビューで、ちょっと変わった破天荒な人物というイメージぐらい。

 

「苦役列車」というタイトルに、プロレタリア文学の匂いがプンプンして、「これは絶対自分の好みではないなぁ」と、正直彼の作品を読む気が起こらなかったことも思い出す。

 

後で知ったのだが、西村氏が芥川賞を受賞したときの審査員の一人が石原氏で、石原氏は彼を高く評価し、西村氏は日雇人夫をしながら石原氏の作品をよく読んでいたという。2011年の芥川賞授賞式で石原氏が西村氏に対して「お互いインテリヤクザだな」と声をかけたというエピソードを知ったとき、二人は作家という共通点以外は生い立ちも何もかもが対照的なのに、何か深いところで繋がっている気がした。

 

どちらも人目を気にせず我が道をゆく。二人似たもの同士だったのかもしれない。そして西村氏が石原氏に追悼文を書いた3日後に書いた本人が亡くなるなんて。なんだか不思議な縁(えにし)を感じる。

 

 

 

苦役列車

苦役列車

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*  *  *

 

そんなニュースがあって、「苦役列車」ってどんな話なんだろう? と興味が湧いてきた。が、本を買ってまで読む気まではしない。なんせ、買ってからまだ読んでいない本が10冊以上「積ん読」状態。さらに、Kindleの書庫にも数冊の未読本がある。買っても、読むまでに数か月、いや、数年経って買ったことすら忘れてしまうかもしれない。

 

そうしたら、この本が映画化されたしたことを知り、アマゾンプライムビデオを検索したらラインナップに出てきた。

 

苦役列車

苦役列車

  • 森山未來
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映画だったら2時間ぐらいで見ることができる。この日、外は雪が降っていて、特に出かける予定もないし、映画を見るにはちょうどいい。

 

プライム会員の見放題にはなっていなかったが、レンタルで標準画質だったら300円だったので購入ボタンを押した。

 

冒頭のシーン。

 

主人公が日雇いで仕事をあてがわれ、現場まで行くバスに乗る。大体は中年以降のオッサン。仕事は港湾の荷物運び。中卒の彼が生きて行くには肉体労働しかない。そのなかに、地方から上京してきた専門学生が混じっていて、主人公と言葉を交わす。

 

「オレ、北町貫多 昭和42年生まれ、19歳。よろしく」

 

こんな感じで物語がはじまる。そして気づく。そうか、この主人公の貫多は自分と同い年なんだ。ということは、自分もこの主人公と同じ時代を生きていたんだな。

 

実は、自分も高校生の頃、バイクのガソリン代を稼ぐために日雇いの仕事をしていたことがある。

 

当時、京浜東北線の東神奈川駅(横浜駅の次の駅)に日雇いを斡旋する会社があって、朝6時ぐらいから並んでいれば「おまえはあっちのバスに乗れ」「そいつはあっち」などと指示され仕事があてがわれる。面接もなければ、履歴書もいらない。働くのに必要な書類は何もない。ただ朝早く並んで、指示されたバスに乗るだけ。だから高校生のガキでも使ってくれる。

 

そこに集まる人足は、いわゆる社会からドロップアウトしたその日暮らしの人から、自分のようなクルマやバイクのガソリン代やパーツ代を稼ぐための若い兄ちゃんやヤンキーなど、結構カオスな世界だった。

 

どんな仕事なのか、現地に着くまでわからないことの方が多かった。春休みは引越が多かった。その他に鉄道車両の工場だったり、倉庫の荷物運び、トラックの助手などがあった。40年ぐらい前の当時でも、1日働けば5000円ぐらいはもらえた。その前にバイトしていたラーメンチェーンの時給が480円だったから、それを思えばわりと稼げたし、残業したりすると割り増しで支払われるので、8000円ぐらいもらえる日もあった。

 

この映画の舞台も、まさしくその世界。オレ、この世界知っている。そう思った。西村氏の小説は、基本的に私小説で、自分の体験が元になっている。もしかしたら、彼とどこかの現場で一緒になっていたかもしれない。

 

*  *  *

 

ある日、現場に行くバスに乗って出発を待っていると、隣に座った30代ぐらいの兄ちゃんが

 

「おれ、3日間何も食ってないんだ。パンを買ってくるから500円貸してくれないか。今日の給料もらったら返すからさ」

 

「そりゃ辛いっすね。あ、いいですよ。500円ね。」

 

500円を受け取ってバスを降りた兄ちゃんは、その後、バスに戻ってくることはなかった。

 

別のおっちゃんから

 

「兄ちゃん。ああ言うの気をつけろよ。あいつはその日、飯が食えればいいんだよ。ここにいる奴らはみんな働きたくないんだから」

 

自分の家庭は中流よりは少し上ぐらいで、経済的にも恵まれ不自由な暮らしをしたことはなかった。本当に世間知らずのウブなおぼっちゃまで、あのときの日雇いの経験はなかなか衝撃的だった。自分も一歩間違えれば、(表現はよろしくないが)こういう社会の底辺で働いて、安酒飲んで、一生を終えるかもしれない恐怖も感じた。

 

同じ時代に生まれ、中卒で刹那的にしか生きられないヤツもいれば、あの頃はまだバブルで、クリスマスには赤プリでディナーして一夜を過ごす大学生のカップルもいた。人間は生まれながらに平等なんてことはなくて、どんな親の元に生まれ、どんな家庭で育つかで、暮らしぶりは随分変わる。

 

あの頃、大学の進学率は30%程度で大卒と言うだけで社会に踏み出す第一歩のアドバンテージは大きかった。そう思うと、何が何でも大学だけは卒業しておこうと強く思った。あまり勉強は好きではなかったし、高校も進学校ではなかったが、当時を思い返すとそれだけがモチベーションで受験勉強した気がする。しかし。。。

 

*  *  *

 

結果的に西村氏は、芥川賞を受賞し作家として成功した。石原氏の「太陽の季節」もモチーフは随分違うが西村氏の小説とどことなく同じような臭いがする。

 

今回二人の人生をさらっと眺めただけだけど、結局、人生に正解なんかなくて、どう努力しようが、何をしようが、その人なりの人生を送ることしかできず、日雇い人夫でも東京都知事でも、根本は同じなのかもしれない。ただ、彼ら二人は自分の生き方に正直だったとも思う。

 

ちょっと最近思うことがある。

 

学校を出て、就職して、社会の一員として組み込まれ、結婚し、子どもが生まれ、30年間のローンで家を買い、そこから、ただカミさんと子どもを食わせて、学校にやって、家のローンを払い続けるために働いてきた。まるで途中下車ができない列車に乗っているかのように、時にハードな仕事もほとほと疲れる人間関係も我慢しつつ働き続けた。一体誰のための人生なんだろう?

 

果たして、それが自分が望んでいた生き方なのだろうか?

 

 

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