コロナの感染が広がりだして、もう丸2年になる。早いもんだ。
この間、人との直接的な交流がめっきり減った。
個人的には、まず、仕事で人と会う機会が激減した。顧客を訪問したり、実務的な打ち合わせもなくなった。社内でも一部テレワークを実施して、社員同士の直接的なコミュニケーションも減少した。
プライベートでは、夜の街に繰り出すこともなく、当然、友だちと飲みに行くこともない。コロナが要因ではないが、子どもたちも大きくなって家族とも話す機会がめっきり少なくなった。
たぶん、これまでの通常の生活の人間関係が3分の1ぐらいに縮小した感じだ。
最初の頃は、なんとなく物足りなくも感じたが、それが日常になると意外と快適に感じるようになった。人との関わりって、楽しいこともあるけれど、一方でストレスだったり、面倒くさかったりすることも多いから無用な心労がなくなった。
会社に人が多ければ、毎日、なんだかんだトラブルが発生したり、ミスがあったり、人の声を聞いているだけでザワザワすることが多いけど、人が少ないと静かに過ぎていくもんだ。もちろん、問題がなくなるわけではないし、業績も今のところ問題はないが、この先どう動くか心配もあるけど・・・
でも、人に合わせることが減ると、結構快適なのだ。
「人との関わりって、実はミニマムな方が精神衛生上いいんだな」
それを最近つくづく実感している。
人間が社会的な動物と言われるのは、基本的にひとりでは生きていけないからだ。大昔は狩りをするにしても、耕作をするにしても、人が力を合わせなければできなかったし、敵から身を守るためにも集団で暮らす必要があった。そして生きていくためには集団のなかで役割や義務を果たす必要があったし、集団の秩序を維持したり裏切り者を出さないためにも掟や絆を深めるための信仰と儀式は大事だった。
でも、いまの社会ではひとりでも稼げる手段はあるし、リモートワークだってある。仕事とお金さえなんとかなれば衣食住はどうにかなる。
孤独が問題になることもあるけど、SNSで必要なときに社会とのつながりは保てるし、相手を選ぶことだってできる。
人との関係のなかで、絆とか、愛情とか、そういうの大事・大切ってすり込まれて生きてきたけど、逆にそういう固定概念に縛られて身動き取れなくなったり、精神的に追い詰められたりすることもあるわけじゃない?
この2年間で、そういうことが随分と見直された気がするし、必要以上に人と関わることがなくてもいい社会になった気がする。
50も半ばを過ぎて思うのは、生活をダウンサイジングして静かに暮らしていきたいと強く思うようになったこと。
趣味や気の合う仲間数人がいればいい。子どもたちだって独立したら、それぞれの人生を歩めばいいし、カミさんだってもうほとんど子育て終わったんだから好きなように暮らせばいいと思っている。別に気が合わなくなったら一緒に暮らす必要もない。
人それぞれ価値観は違うから、それぞれの思う生き方をすればいいけど、ある程度歳を取ったら、(ゆるく人とつながりながら)静かに、ゆっくり、ひとりで暮らしたいって思っている人も、案外少なくないような気がしている、とコロナ禍で思った今日この頃の雑感。