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【2021年】年賀状を出す人が少数派になる日もそう遠くないと思った件

 

新年 あけましておめでとうございます

<(_ _)>

 

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2021年は珍しく雪降るなかでとても静かに年が明けた。

 

毎年、正月はカミさんの実家で親戚が集まって食事をするのだが、今年は例のヤツで中止となり、元旦に近所の神社へ初詣に行っただけで、前回の記事通りとくにすることもなく、Amazonプライムビデオで遅ればせながら「鬼滅の刃」を見はじめた。

 

まだ途中だが、ストーリーは主人公が修行して次々と現れる敵を倒して、宿敵と対決するという少年漫画の王道で、おもしろいとは思うが、ドラゴンボールとそれほど設定は変わらないじゃん? なんて考えながら、「なんでそこまでヒットしているのか不思議」と見ている(ちょっと描写がエグいので続けてみていると具合悪くなる・・・)。

 

*  *  *

 

さて、ここからが本題。「年賀状」である。

 

数年前までは、自分とカミさんと合わせて100枚ぐらい年賀状を出していたが、昨年から「年賀状じまい」をして、今年はメールやLINEなどでつながっていない大学時代の恩師や年配の知人で「この人だけは」と絞り込んで5枚だけ出した。

 

会社の社員にも「出す出さないは自由ですが、年明けにはすぐ顔を会わすので、出さなくてもいいし、返信の賀状も無しにしましょう」と伝えたところ、ほぼ年賀状は来なかった。

 

例年、いろんな企業からも年賀状が届いていたが今年は激減した。たぶんそれどころじゃない企業も多かったのかな。企業から無味乾燥、若しくは宣伝まがいの年賀状が届いたところで別に嬉しくもないし、来なかったからと言ってその企業を失礼だとも思わない。

 

それでも、何通か年賀状が届き、LINEやSNSでつながっている友人には、「早々に賀状をありがとう」と、近況も交えて送ったら、相手も近況や共通の知人の話題を送ってくれて、年賀状に添えられたひと言よりも充実したやり取りができた。

 

昔は年賀状ぐらいが唯一離れて暮らす友人・知人へ年に1度近況を伝える機会だったので、写真やイラストなど凝ったレイアウトを考え、ひと言添えて数日がかりで用意したが、スマホがこれだけ普及し、瞬時に連絡が取り合える時代になって、それだけの労力とコストを掛ける意味が薄れている気がしていた。年賀状の配達枚数が年々減っているという報道を見かけると、多くの人がそう思っているのだろうか。

 

息子や娘は、携帯やスマホを持つようになってから年賀状を出す習慣はないし、友だちから来ることもない。

 

そういや郵便局に勤めている人が、与えられたノルマを達成するために自分で年賀状を買い取っていたこともあったようだが、問題になってそれも無くなったらしい。会社で顧客や関係者に出す年賀状は毎年金券ショップで少し安く買っていたのだが、ノルマがなくなったことで、金券ショップに持ち込まれる年賀状もほぼ無くなったみたいだ。今はちゃんと郵便局で買っている。

 

年賀状に風情を感じる人もいるだろうし、大事な習慣と考えている人はもちろん続けていただければ結構だ。無問題。ただ、年賀状を出す人が少数派になる日もそう遠くないような気がしている。思うのは、形式よりも「相手を想う気持ち」が大事なんじゃないかな。

 

*  *  *

 

今年は平穏で皆さんに幸多い1年になることをお祈りし、新年のご挨拶とさせていただきます。

 

今年も、皆さんに楽しんでいただけるよう、趣味のバイクやクルマ、登山、日常の出来事、考えこと、そして時に鋭い社会派の記事(妄想?)でブログを執筆していく所存でございます。どうぞ、引き続きご愛読のほどお願い申し上げます。

 

 

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