昨日の新聞に、相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で殺傷事件を起こした植松聖被告に死刑判決が言い渡されたと報じていました。
なんとも恐ろしい事件で、尊い人命が失われたことと同時に、犯人が元職員だったということに衝撃を受けたのを今でもよく覚えています。
その動機は「意思疎通ができない重度障害者は周囲を不幸にする不要な存在だ」という考えにあったようです。つまりその存在が経済的価値を生み出すところか損失だという意味です。
自分は学生の頃、知的障害児施設でボランティア活動に参加していました。それほど大義があってボランティアをしていたわけではないのですが、大学1年生のときに、同級生(女性で可愛かった)から人手が足りないからと誘われるままについて行ったのが始まりで、気がつけば4年生になって就職や卒論が忙しくなるまで不定期でしたが続けて通いました。
このとき、知的障害のある方と接するのは初めてでした。
奇声をあげながら走り回ったり、何か一つの動作を取り憑かれたように繰り返す、突然後ろから馬乗りにされたり・・・ 正直ビビりました。
当時は、出入り口にすべて鍵がかけられていて、出入りする際の合鍵を渡されました。
住宅街にあったので、入所者が勝手に飛び出して行かないような処置だったのでしょう。
居室には一切私物がなく、がらんとした10畳ぐらいの部屋がいくつも並んでいて、寝るときだけ布団を出していました。
子どもたち(一部成人もいました)の行動とともに、その処遇にもかなり衝撃を受けたことを覚えています。
まだ、国連の「障害者の権利に関する条約」に批准する前で、障害者差別解消法*が成立するはるか前のことです。
*差別の「禁止」ではなく「解消」というところがミソです。
今でこそ、障害者の権利や人権が守られて当たり前という社会に、理念や法整備上は進んできました。
しかし、現実に彼らの前に立って、自分がどう感じて、何ができるのかは、そんな建前とは別次元です。
「彼らにとって、生きている意味とは?」
植松被告のように、思考がぶっ飛んでしまうことはなかったとしても、自分という存在と彼らの存在の間には、大きな壁があったように感じます。
鍵を開けて施設の中に入っていく緊張感。
作業が終わって、扉を鍵で開けて出た時の安堵感。
そちらの世界とこちらの世界。
いま、当時を思い出しても、彼らと自分とが住んでいる世界は別な世界でした。
職員の中にも、仕方ないと諦めたり、入所者を見下した態度をとる人もいました。植松被告の言動や行動を肯定的に捉える理由は1ミリもありませんが、同時に人間の中には闇の部分があって、見たくないもの、不快なもの、理解不能なことには蓋をして排除する一面があることを自覚する必要があります。
そういう感情の揺らぎが自分にあったことも否定はしません。
すべてを経済や生産性、効率性で測ってしまえば、彼らは社会から排除されてしまいます。今でも障害者に限らず、身近なところで、似たような排除は行われています。
そういう感情を乗り越えて、彼らにとって生きることは、自分が生きることとなんら変わりはないと思えるようになったのは、ボランティアを続けてずいぶん後になってのことです。
福祉実践は人が相手の仕事ですから、ときに相手は感情を思いのままにぶつけてきます。それでも施設の職員はみないろんな葛藤を抱えながらも、それを受け止め、乗り越えて素晴らしい実践をされている方もたくさんいます。その職員たちの福祉実践を、そして入所者を経済的価値を基準に生産性や効率性で測ることに何の意味もありません。私たちは、先人達の福祉実践が積み上げて築いた福祉というセーフティネットよって人権が守られて暮らしていけるのです。だから入所者を殺していいとは決してならないのです。むしろ様々な福祉実践は、社会の望みだとも思うのです。
植松被告の行動や言動は決して許されません。一方で1人を除き匿名審理だった裁判にどこか違和感を感じています。被害者家族の心情に配慮することだったのかもしれませんが、本当にそれが配慮なのでしょうか?
* * *
自分のなかに「差別」や「偏見」という心のフィルターがあることは、いまでも自覚しています。そのフィルターは誰もが持っています。そのフィルターを通して自分が社会を、そして人を見ているように、他人からも見られています。いつ自分が「差別」や「偏見」というフィルターを通した視線を向けられるかもしれないという恐怖もあります。例えば、いま「コロナウィルス」に感染したら、周りからどんな目を向けられるかわかりません。
虐待、いじめ、性暴力。身勝手で悲しい結末のニュースに事欠かない社会です。みんな何かしら心に渦巻く負の感情も持ち合わせていています。だからこそ、そういった感情に向き合い、直接的な行動や言動につながらないように常に自分自身で監視しておく努力は必要です。
昔、施設でボランティアとして働かせてもらった経験が、いまでも自分の価値観として根付いています。情報化社会になって、コミュニケーションが複雑になり、情報量も飛躍的に増えました。でも大事なことはリアルな経験でしか得られないものなのだと、おじさんはネットで呟いてしまうのです。