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2年前の夏にお袋が旅立った話

 

 

 

 

【過去記事】2017年8月31日の記事です。2年前の夏休みにお袋がガンで他界しました。Yahoo!ブログで書いたのですが、Yahoo!ブログのサービスが終了するので、こちらのブログに転載して、記録に残しておきます。

 

*  *  *

 

気がつけば、8月も今日で終わり・・・歳とともに月日の経つのがホントに早い。

 

今年(2017年)の夏休みのことを書いておこうと思う。

 

会社の夏休みは、通常お盆の時期に3日間設定するんだけど、

 

今年は3連休も絡めて6日間。さらにその前の週の土日が仕事だったので、思い切って平日の2日間も休みにして、10日間取ることにした。

 

よし! ツーリング行って、南アルプスを縦走して、カブカップに出場してと、予定をてんこ盛りにして待ち構えていたのですが・・・

 

お袋がガンで療養中で、ここ2年ぐらい入退院を繰り返していた。これまでも何度か「もう危ない」と連絡をもらっては、急いで横浜の実家に帰っていたのですが、毎度、驚異の復活を遂げて、「キョン」と座ってスイカ食べていたりして(-_-;)

 

ところが、夏休みの直前にいよいよ容体が悪化したと親父から連絡があった。これまでのこともあったので、とりあえず、少し様子を見ると言うことになって、友だちと約束したツーリングだけは行ってきた。ただ、南アルプスの縦走は、山に入っちゃうと携帯圏外で連絡が取れなくなるし、連絡が取れてもすぐに下界に戻れないので、こちらは断念した。

 

で、もうちょっとぐらい持ちそうなら、19日の富士スピードウェイのカートコースであるカブカップ(スーパーカブで3時間走る耐久レース)の前に横浜に寄ってぐらいの気持ちでいたら、15日に親父から「今度は本当に覚悟してください」と医者から言われたと連絡があった。

 

7月に実家帰ったときも、ずいぶんやつれていたので、今回は本当に覚悟した。すぐに新幹線のチケット取って、カブカップのメンバーだけには事情を話し、欠場を伝える。

 

横浜の病院に駆けつけると、まだ、意識はあるけど、ほとんど会話はできない状態。こちらの話しかけには、相づちを打ったり、短い言葉で返答はあるけど、痛みもあるみたいでだいぶ苦しそう。

 

自分は、高校卒業後に大学へ進学してひとり暮らしをはじめてから一度も実家に戻ることなく結婚して所帯を持った。つまり18年間しか親と暮らしていない。もう家を出てからの生活がずいぶんと長くなって、おまけに岐阜と横浜と距離的にも離れて暮らす期間が20年以上も続いているので、親の顔を見るのは、年に数回程度。

 

実は、自分はあまり母親のことが好きではなかった。詳しくは書かないが、喜怒哀楽が激しくて、結構自由人で、自分も似ているところがあるから、鏡に映った自分を見ているようで、嫌だったのかもしれない。

 

だから早く家を出たくて、家から通えない他県の大学に進学した。家を出てからもあまり実家に寄りつくことはなかった。

 

それでも、母親はこんな自分に非常に愛情を注いで育ててくれたと、今更ながらに思う。

 

まったくもって親不孝な息子だ。

 

その晩は実家に泊まって、翌日、親父と病院に行く。お袋はよく寝ているようで、まあ、寝ているところを無理に起こすものなんなので、ベッドの脇で本を読んだり、うたた寝してみたり・・・

 

昼になっても、なかなか目を覚まさないので、ちょっとおかしいな? って思って体を触ってみると「熱い!」

 

看護師さん呼んで、熱を計ってもらうと39度もある。呼びかけても、目を覚まさない。

 

看護師さんに恐る恐る聞いてみる。

 

「今晩もつでしょうか?」

 

「呼吸も荒くなってきて、血圧も下がってきてますので、状態は良くありませんね。今晩は付き添われますか?」

 

いよいよ最期のときが近づいて来たと覚悟する。

 

もう、治る見込みもないし、医師も看護師も分かっているので、医療的な処置は最低限であとは見守るだけとなる。

 

カミさんと娘が岐阜からやって来たが、お袋は目を覚ますこともなく、中学生になった孫の顔を見ることもなく日付が変わって少し経った頃、息を引き取った。

 

やつれて、小さくなったお袋の亡骸を見て、悲しみはあるけど、こんなになるまでよく頑張って生きたな。もうゆっくり休んでいいよ、って話しかけてた。

 

意識があった最期に交わした言葉を思い出す。

 

「お袋、俺になんか話しておきたいことある?」

 

(声がかすれて苦しそうに)「いっぱいある」

 

「なに? 言って」

 

「いっぱいあって話せない」

 

あのとき、お袋は何をいっぱい話したかったのか、もっと元気なときに話を聞いておけばよかったと後悔しているが、いつか自分もそっちに行く日が必ず来る。向こうに行ったら、改めてゆっくり聞くことにしよう。

 

https://www.instagram.com/p/10QAKJqups/

両親 横浜中華街にて。

 

 

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