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【堺屋太一の遺言】その裏に込められた日本の行く末を深読みしてみる。

 2019年2月。

 

堺屋太一氏が83歳で亡くなったのをいつかのニュースで知った。

 

 

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photo ウィキペディアより 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/堺屋太一

 

 堺屋氏は、世代で言えば自分より3世代ぐらい上の感覚。自分のオヤジと同世代だ。堺屋氏を代表する言葉に「団塊の世代」がある。この世代が良くも悪くも今の日本を形づくったといえる。

 

よく読むニュースサイトに「日経ビジネスオンライン」(現在は「日経ビジネス」)があって、そこに生前の堺屋氏のインタビュー記事が載っていた。堺屋氏の著作は数冊しか読んだことがないが、元通産省の官僚というだけあって、日本の立ち位置だったり、行く末だったりを俯瞰的に言い表わせる稀有な存在の人というイメージだった。

 

business.nikkei.com

 

官僚は誰に忠誠を誓っているのか

彼が言うには、官僚が国民の生活のレールを敷いて、我々はそのうえを歩かされてきたのだと。

 

役人が国民の人生を決めてきた
 私は最近、「3度目の日本」ということを言っているんですよ。1度目の日本は明治日本。明治維新で誕生した、軍人と官僚が専制した日本です。この日本は、ただひたすら「強い日本」を目指していました。

(中略)

 2度目の日本というのは、戦後日本。これは「豊かな日本」を目指しました。規格大量生産で、官僚主導で東京一極集中、終身雇用、年功賃金。社会は核家族で住宅は小住宅・多部屋式。生まれたらすぐに教育を受けさせ、教育が終わったら直ちに就職。就職したら蓄財をして、その後で結婚して子供を産んで、家を買って、老後に備えるために年金を掛けろと。

 官僚が個人の人生設計まで全てを決めていました。それに従っていれば、それなりの中流になれた。いわゆるジャパニーズドリームですね。逆に、官僚が敷いたルートから外れると、とことん損をした。役人の言う通りに生きるのが良い国民で、それに反するのは悪い国民だと。だからニートとか、パラサイトとか、もう散々悪く言われるんですよ。

 

確かにそうだ。富国強兵で戦場に国民を送り出し、次は経済発展のために大学を出て、就職して、世界各地でモノを売り、税金を払い、結婚して、子どもを親の責任で育てて、再生産を強いるレール。

 

ああ、その通りだ。それで、幸せな人生だと思っていた。みんな。今の今まで。

 

日本は表面上平和で幸せに暮らせる国だ。ごはんはおいしいし、清潔だし、人は親切だし、犯罪は少ないし、どこにだって住めるし、仕事も選べる。

 

だけど。なんだか心底幸福な気がしない。情報を操作されて常識という目に見えない拘束着を着せられ、同調圧力で思考停止にさせ、娯楽を与えて知らずのうちの権利侵害にデモも起こさず、黙って税金を払い、都合のよいように使われている気がしてならないのだ。

 

主体的に生きていない。何かに縛られている感じがするのだ。

 

いま、山積する社会問題は放置されたままだ。

 

少子化/高齢化/介護/格差/差別/貧困/社会的排除/児童虐待/偏見/引きこもり/登校拒否/過疎/人口減少・・・

 

もう、気が滅入るほどキーワードが出てくる。上手くいっていた日本のシステムや官僚の敷いたレールの錆やゆがみが、このキーワードに表出しているようだ。

 

日本は災害も多い。なのに原発すら止められないでいる。

 

最近では、働き方改革とかで70歳まで働けという。一応取って付けたように「希望する人は」と言っているが、「将来的には年金70歳支給になるからそれまでは働いてね」という国からのメッセージとしか受け取れない。自由に好きなことして働くんだったらいいけど、そんな歳まで組織に属して低賃金で辛い労働に従事したくない(←国の言う働けはこれを想定しているように聞こえる)。

 

さらに老後のお金は、年金だけでは足りないから、いまから投資して2000万円用意してねと金融庁(※)が言って大炎上もした。

※金融庁の報告書の内容はまっとうなこと書いてあるんだけど、マスコミが変に切り取って年金が破綻するとか、誤解を招くような報道をしたからおかしくなって、さらに麻生さんの失言(^_^;) でも、これも意図的に感じてしまう。ちなみに年金は厚生労働省の管轄だから金融庁は前振りの導入で使っただけだ。

 

我々は、国がなんとかしてくれる、国に任せておけば大丈夫、その通りに生きていけば、安心して暮らしていけると盲目的になっていた。だから、「年金足りないから2000万の貯蓄」の報道で裏切られたと大騒ぎするんだ。

 

これからの日本は経済成長が見込めず、世界を風靡した日本の大企業も今や外資になったり、つぶれかけたり、日本から海外に拠点を移している。

 

いままで支えてきたシステムは制度疲労どころか、崩壊しはじめている。年功序列も終身雇用ももうダメだって。でも官僚はなにも国民なんか見ていない。自分たちの組織を守ること、そこで利権を得ることが彼らの仕事なんだ。

 

そして、政治家すら自分たちの操り人形ぐらいにしか思っていない。

 

民主党が政権取ったとき、民主党は官僚から政治を取り戻そうと政治主導をぶち上げたけど、官僚はことごとく反旗を翻した。その後の民主党の転落ぶりを見れば、いかに官僚組織のしたたかさがわかるだろう。

 

 では、官僚は誰のために働いて、誰が彼らの組織を庇護しているのか。

 

 実は国民が選挙で選んだ国会議員のためにではなく「アメリカ」だ。

 

 国賓ではないその前にトランプが来日したときは、羽田ではなく、横田基地に降り立った。マッカーサーと一緒だ。そして六本木のヘリポートに移動する。ノーチェックだ。CIAだってこのルートで自由に行き来できる。ここに日本とアメリカの国境はない。敗戦後の日本とアメリカ、そこから1ミリも変わってない。アメリカは官僚を通して日本を支配しているとしか考えられない。

 

アメリカでトヨタが訴えられたとき、なぜ、トヨタの社長を日本の政府や官僚は全力で守らなかったのか?

 

なぜ、頑なに一発試験を課していた大型自動二輪の免許が取りやすくなったのか?

 

なぜ、アメリカは、日本国憲法で戦争を放棄させ、日本に軍隊を持たせないようにしたのか。それなのに今になって自衛隊を海外に派遣しろというのはどういうことなのか。

 

グレーゾーンの法律を考えたのも官僚だ。政治家にそんな能力は無い。

 

日米合同委員

 

横田空域

 

ニュー山王ホテル

 

これらの言葉を検索して欲しい。きっと恐ろしい真実を知ることになる。

 

矢部宏治氏は『日本はなぜ、「基地と」と「原発」を止められないのか』という著書の中で、様々な公的文書を紐解いて、客観的事実から日本とアメリカの構造的な関係をわかりやすく解説している。先の答えもここにある。

日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

 

 

自由のために犠牲を払えるのか

 

「楽しい日本」を目指し官僚システムを壊せ
 だから、今、日本がやらなきゃいけないのは、この官僚システムを壊すことです。

 官僚は皆、ものすごい正義感を持っている。ちょうど戦争中の軍人が中国に侵略することも、真珠湾を不意打ちすることも、正義感を持ってやっていたのと同じように。この官僚の制度を破壊するというのが、3度目の日本です。

 3度目の日本。それは、官僚制度ではなしに、本当の主権在民を実現する「楽しい日本」です。今、日本は「安全な日本」なんですよ。安全という意味では世界一安全です。だけど全然楽しくない。

例えばお祭りをやろうとしても、リオのカーニバルなんかでは何人も死ぬんですよ。そんな行事がいっぱいある。アメリカの自動車レース「デイトナ500」なんかもそうでしょう。楽しみと安全とを天秤にかけて、多少は危険だけどこの楽しさは捨てられない、というのが外国にはあるんですよ。

 ところが日本は、どんなに楽しくても、少しでも危険があったらやめておけ、やめておけと、官僚が統制してしまう。それがマスコミや世間でも通っているんですよ。

 安全だけでいいなら、監獄に入ればいい。それでもみんな入りたがらないのは、監獄には幸福を追求する選択性がないからです。その意味で、今の日本はまるで監獄国家とも言えるほどです。その監獄国家から、幸福の追求ができる選択国家にしなきゃいけない。そうすると、ベンチャーを起こす冒険心も復活する。この官僚主導からいかにして逃れるかが、これからの2020年までの最大の問題なんですね。

 

堺屋氏が官僚システムを壊せという。それは、つまりアメリカの支配から脱却せよということだ。それには、まず、この国の真実を知らなければならない。 官僚の正義感とはアメリカに忠誠を尽くすことだ。そのご褒美に定年前に天下って、いくつかの団体や民間会社を渡り歩いて多額の退職金を手にし、老後は安穏と暮らしていくのだ(それでも子どもが引きこもりで殺してしまうなんて皮肉だ)。

 

その頑としたシステムを破壊するには、多少の犠牲は仕方ない、その犠牲を容認しろと堺屋氏の遺言は聞こえる。

 

元官僚の老人が、クルマを暴走させた事故も国や警察の対応に違和感を感じ得ずにはいられない。

 

堺屋氏は知っていたのだろう。でも、ストレートには言えなかったんだろう。元官僚で当事者だから。だから官僚制度を否定することで、間接的に伝えているのだ。

 

深読みしすぎかな。

 

でも、今のままで日本の国民に主体はあるのだろうか? 我々がこの国を自分たちの手で主体的に進路を選択しめざす国をつくれるのだろうか。一人ひとりが自分の人生を主体的に選択して生きていけるのだろうか。

 

これから先、日本は老人だらけの国になる。若い力が圧倒的に足りない社会となる中で、アメリカの庇護を離れ、中国や北朝鮮、ロシア、韓国など日本の国益を削ごうとする国々と対峙できるのだろうか。

 

その覚悟ができたとき、本当の自由、つまり選択権を手に入れられるのだ。自由=幸福とは限らないが、監獄の中にいるよりはマシだ。

 

 

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